緩和ケア病棟
タイトル通りです。
パパは緩和ケア病棟に行くことになりました。
その経緯などを書いていきます。
前回4/8に入院したところまで書いたと思うのでその先を。
4月9日(金)
整形外科の先生に診てもらい、首の固定具(コルセット?)を作ってもらいました。
詳しくは全然分からないのですがオーダーメイドらしいです。(採寸されたらしい)
ただ本当にどういうものなのか分からない状況なので分かったら追記しようかと思います。
ただ痛みはコルセットをしていてもあまり変わらないみたいでした。
顎に器具?が当たるらしく喋りにくいって電話で言ってたらしいです。
救急車で運ばれた時の血液検査で貧血が酷いことが分かっていたので、この日から3日連続で輸血をすることになりました。
4月11日(日)
3日間の輸血が終わったので本人から『もう帰れるのかな?医者から何か連絡はないの?』という電話がママにありました。
今はまだ何も連絡ないよ、と答えたそうです。
4月12日(月)
朝の回診で主治医の先生に『退院して脳外科で治療してきてください』と言われたけど本人が『自信が無い』と答えたそうです。
それにより先生から呼び出され、緩和ケア病棟に行くことを勧められました。
昨日の夕方までは帰りたいって言ってたのに急におかしいと思ってママが電話したところ、パパの心が今までにないくらい弱っていました。
更に先生からは患者の状態を示すPS(パフォーマンスステータス)というものがあり、パパは3~4で抗がん剤治療をすることが出来ないとも言われました。
ただ強制することは出来ないので、緩和ケア病棟に行くか否かは家族と本人で話し合って決めてくださいとのことでした。
緩和ケア病棟とは治療をせずに体や心の苦痛を少しでも和らげて過ごしてもらう、という所です。(パパのいる病院ではそういう説明をされました)
つまり穏やかに残りの時間を過ごすための場所。
そんな所に行かせるなんて…という気持ちが強く、同病院の放射線の先生に相談して、なんとか治療が出来ないか掛け合いました。
放射線の先生は私たち家族に寄り添ってくれて、治療したいことを主治医の先生に伝えてくれたのですが、返ってきた答えはNO。
そして
《パパの残りの時間が『週単位』である》
ということが伝えられました。
伝えられた時はショックでただただ泣くことしか出来なかったけど、落ち着いてから調べたら週単位とは約2ヶ月以内のことを指すそうです。
それでも絶望しかない。
3月頭に検査した結果と4月頭に検査した結果を比べると肺のガンの大きさが約2倍になっていて、抗がん剤治療が出来ないとなると呼吸が出来なくなって…ということらしいです。
(正直この辺りの記憶が曖昧なので間違ってるかもしれません。)
緩和ケア病棟に行く以外の選択肢がなくなった瞬間でした。
4月13日(火)
パパから『主治医の先生との面談があって主治医の交代を言われた』という連絡がありました。
たぶん治療できないということも説明されたと思います。
本人は緩和で良いとのことでした。
個人的には前日の言動もあって、主治医の先生に見捨てられたという気持ちしかないです。
4月15日(木)
緩和ケア病棟の詳しい説明をママとお兄ちゃんが聞きに行きました。
話を聞いてるだけでも本当に『最後の時間を過ごす場所』って感じで怖くなりました。
ただこういうご時世だけど条件付きで面会OKというのはありがたいです。
(緩和ケア病棟でも滅多にないらしいです)
面会の基本条件としては
・一家族2人まで(特別に3人にしてもらいました)
・PCR検査をして陰性であること
(PCR検査の費用は2人までは低額だけど3人目は特例なので全額自費)
というものらしいです。
月曜日(4/19)に面会が決まりました。
4月16日(金)
放射線科の先生から、緩和ケア病棟に行くと進行を遅らせる為の照射ができるということを説明されました。
①肺の照射
今の進行スピードだと5月頭には片方の肺が潰れる可能性が高いので、それを防ぎつつガンの進行を遅らせる為に肺に放射線をあてる。
ただ既に肺がんが大きくなりすぎていると照射できないので月曜日(4/19)にCT検査をして現在の大きさや位置を確認、その日の午後に可能であるか判断。
照射予定回数は5~10回。
②首の照射
こちらも放っておくと脊椎を傷付ける可能性があるので照射する。
首は既に1度当てたけれどあまり効果がなかったようなので今回は強めにやる。
照射予定回数は5回。
③リスクなど
・肺がんが大きいので当てる部分が多い=健康な肺にも当たるので肺炎になる可能性がある。
・検査などで寝かしつける時に首を痛める可能性がある。
・今よりも体力が落ちてくると照射が難しい。
・効果が出るのは1ヶ月~2ヶ月後。
④その他
・水曜日(4/21)から開始で1日1回、休日以外は毎日照射の予定。
・1回あたり20分くらいだが肺と首を同時にやるなら40分くらいかかる。
・緩和の先生は痛みのコントロールがしっかり出来る先生なので、放射線当ててる間はじっとしていられるくらいになると思われる。
どう書いたらいいか分からないので箇条書きにしました。
なんていうか、とにかく放射線の先生は出来る限りのことをやろうという意思が強くて本当に嬉しいです。
ただやっぱりリスクもあるから本人と家族次第にはなるので話し合ってくださいねということでした。
緩和ケアに行くことが前提なので、仮に肺炎になっても積極的な治療はされません。
人工呼吸器や挿管はせず酸素吸入くらいしかしないらしいです。
でもこれは一般病棟であっても肺がんが酷い人に対しては同じ対応になるみたいです。
私とお兄ちゃんは出来る限りのことをして欲しいから、緩和ケア病棟に行って放射線をやりつつ痛みを抑えてもらって、動けるようになったら退院という流れが理想かなと思ってます。
本人も放射線をやる意思はあるみたいですし。
でもやっぱり家に帰りたい、一旦帰ってから緩和の方に再入院出来ないかって言ってたらしいです。
というのも私のおじいちゃん(パパのお父さん)は違う病院で違う名前だけど内容としては似たような病棟に移ってからすぐに亡くなったそうです。
(私はこの時この話を初めて聞きました)
それと重なって不安になってしまったんだと思います。
今は精神力を強く持ってもらわないとダメだと思ったので、『緩和に行って治療して、痛みが落ち着いたら帰ろう』と伝えてもらいました。
こうして緩和ケア病棟に行くことが決まりました。
本当はもっとバタバタしてたんですけど情報が行ったり来たりしてたせいで記憶が曖昧なので端折ります。
個人的には効果が出るのが1ヶ月後なのが気になるところだけど、今はとにかく放射線が出来ることを願います。
そしてPCRが陰性であること、面会中は楽しく過ごせることも。
ちなみにママの様子は相変わらずです。
自力では眠れない、疲れやすい、あと少し食べる量が増えたかな?と思います。
パパの余命宣告(と言っていいものなのか分からないけど)がされた時には一緒に大泣きしたのでまだ悲しいという感情は生きてる。
逆に最後に笑ったところを見たのはいつだろう?ってなるのでプラスの感情はほとんど消えているんだと思います。
私もさすがにこの1週間は精神的に不安定になりました。
すぐ親友たちに話を聞いてもらって、たまたまだけど友達と会う予定があったから落ち着いたし気分転換も出来たけれど。
それでも心のバランスが崩れているのが分かります。
明日というか今日だけど、面会に行きたいけど行きたくない。
現実を受け止めなきゃと思うのにもうこれ以上何も受け入れられないと拒絶したい。
まだまだ生きたいともこんな人生生きる価値ないとも思う。
全て投げ出して逃げてしまいたい。
けどそんなことしたって何も変わらない。
生きるって難しいですね。
もし神様がいるのなら
どうお願いしたら私たち家族はハッピーエンドを迎えられますか