伝えたいこと
久しぶりに開きました。
毎日が慌ただしくてブログを書く気力もなく過ごしてたらあっという間に1ヶ月経ってしまいました。
5月13日 5:06
パパが亡くなりました。
正直、面会中のこととか最後の方の様子とかはあまり思い出したくないけど、前回のブログを読んで少しは書いておこうと思います。
まず、放射線治療は無事にやり終えました。
全5回、肺と首両方にやったそうです。
肺の方は最終日には小さくなっているのが確認出来るくらい効いてたみたいです。
そして面会も5/2までは毎日行けました。
その時期に新型コロナ感染者数が増加した影響なのかPCR検査キットの数が少なくなってしまい、面会の人の分まで用意が出来ないという説明を受けました。
ただ、1家庭1人までは大丈夫とのことでママに最後まで毎日行ってもらいました。
最初の週(4/19~)はびっくりするくらいパパの調子も良く楽しい時間を過ごせました。
食べ物の持ち込みが自由なのでパパの好きな物を持って行って一緒に食べたりしました。
次の週(4/26~)くらいからだんだん痛みが酷くなり、食べる量が減って起きてる時間も短くなりました。
それでも4月27日(火)にパパの61歳の誕生日のお祝いをして、みんなでケーキを食べました。
次の週(5/3~)くらいから手に力が入らず1人でご飯が食べられなくなりました。
ご飯食べてる途中に寝ちゃうくらい、起きてる時間が短くなっていきました。
日に日に出来ることが減っていきました。(物を掴む→歩行→自分で座位になる→食事→会話(反応する)、の順に出来なくなっていった)
それでも5月9日(日)まではママにスマホを持ってもらいながら電話することが出来ました。
最後の週(5/10~)
10日が最後の食事となりました。量は少ないながらも最後まで固形食を食べてたみたいです。
11日、ママが行くと痰が絡むような音と苦しそうな表情だったので痰を吸引してもらいました。(緩和ケア病棟だと痰の吸引はしないと言われてたけど本人が苦しそうだとやってくれるみたいです)
その時に首を動かされたのか痛みで少し暴れた(看護師さんを軽く蹴ってしまった)ようで、モルヒネ(痛み止め)を点滴で、睡眠薬(暴れ防止)を筋肉注射で入れたらしいです。
先生がパパの様子から残りわずかと判断したようで、PCR検査受けてないけど特別に面会許可が出ました。
睡眠薬の影響か呼びかけると一瞬起きて返事はするけど喋ることは出来ない状態だったのに、最後の最後(20:30頃)に1分弱ほどハッキリ覚醒して、名前を呼んで、『ありがとう』と家族に向けて言ってくれました。
12日は痛がったらモルヒネだけ点滴で入れて、あとはずっと寝てる状態でした。
この日も面会出来たけど、呼びかけてもあまり反応はなかったです。
13日の3:30頃に病院からママに連絡があり、準備して向かうとパパは息を引き取っていました。
看護師さんの話では連絡してから10分後くらいに眠るように息を引き取ったらしいです。
パパは待ってくれていたかのように体温が残っていました。
少し家族の最後の時間を過ごし、5:06、医師による死亡宣言がされました。
正直、5月末くらいまでは大丈夫だと思っていました。
あと最期には立ち会えると。
どっちもだめでした。
こうやってブログを書きながら過去を思い出していくと後悔ばかりが浮かんで『あの時こうしていれば』って思っちゃうけど、過去にはどうしたって戻れなくて。
私たちは先に進むことしか出来ないから、今、生きている人、大切な人が生きている人に伝えたいことをこれから書きます。
まず健康診断を受けてください。
あなたの大切な人の健康診断の結果を見せてもらってください。
些細なことでも再検査の必要があったら行ってください。
一緒に行ってあげてください。
お金も時間もかかるけど、健康に生きることが最優先だと思い込んでください。
自分や自分の周りは大丈夫、と過信しないでください。
次に大切な人との思い出を写真や動画で残してください。
旅行や何かの記念はもちろんだけど、ありふれた日常も残してください。
人間は声から忘れていくと言われています。
あなたを呼ぶその声を、残すようにしてください。
最後に大切な人のことをよく知ろうとしてください。
知ってもらうように話してください。
趣味、嗜好品、大事にしている物・人、大切な記憶…
毎日飲んでいるそのお酒は好きで選んでいるのか、安いからなのか。
年月が経てば趣味も嗜好品も変わるかもしれない。
知った気にならず、きちんと知ろうとしてください。
どれも私がやらずに後悔したものたちです。
健康診断の結果をきちんと確認していれば、こんなことにはならずに済んだはずなのに。
病気が分かる前の何気ない日常の私を呼ぶ声を、もっと聞けたはずなのに。
映画が好き、音楽が好き、ドラマが好き、お酒が好き…でもどれも『特定のもの』が分からないんです。なんで聞かなかったんだろう。もう聞けないのに。
面会中は見ているのもしんどくて辛くて、どんどん弱っていくのが分かるから悲しくて寂しくて仕方なかったけれど。
事故などで突然のお別れになることもある。
それはきっと、今よりもやるせなくて、受け入れ難くて、でもどうしようもない現実がそこにあって。
そういう事を思うと、ゆっくりとなんとなく、心の準備が出来ていったこの状況は恵まれているんだと思います。比較するものでは無いけれど。
このブログを読んでも結局は他人事だから何とも思わない人もいると思います。
今まで私はそうでした。
過去形にしていいのかまだ分からないけど。
こういうことは他人事でしかなくて、自分の周りには起きないとなんとなく思っていて。
そのバチが当たったのかなぁなんて思う時もあるけど。
そういう人は一定数いると思うんです。
いても別にいいと思うんです。
ただ、自分がそうなった時に後悔するだけだから。
願わくば、1人でも多くの人が大切な人を大切に出来ますように。
ガンの話、おしまい。